【マインド編】世間体って何?
- suita emdd
- 1月14日
- 読了時間: 14分
更新日:1月18日
みんなが思う世間体とは?
みんな「世間体」を気にしてしまうのか?
・恥ずかしい
・否定されるのが怖い
・間違いはよくないから
主にこの3つが原因なのではないかと
このようなシチュエーションは
ありませんか?
「このファッションはださいかな?」
「自分の目標を公言しても否定されるのが怖い」
「動画取りたいけど周りにみられるのが恥ずかしい」
このような想いを抱いたと思います。
ここにきて
今回は「世間体を気にしない方法」について
話そうかと
思いません!!
私は「方法」とかには興味がなく そもそも、方法知ってもやるのは
読者であって
そもそもやりかたなんか
人それぞれで自分にあったやり方があるので
自分で模索したほうが 人にアドバイスを聞くより
100倍楽しいかと。
一様教えます。
「海外で生活する」これのみかと
理由は
日本は基本的に「世間体」を気にする国であるので。
だったら海外に生活するのが一番手っ取り早いです。
他にもありますが
本題に入ります。
なぜ世間体を気にしてしまうのか
あくまでも私の推測です。
違うと思えば自分なりの仮説をたててみてください
~目次~
1・優劣をつける

私は「優劣」をつけることに関してです。
人は「適材適所」があってそれぞれ
その人にあった生き方があります。
なのに「優劣」をつけたがるのかと
それは、その人のなかでの正解があって
そこでジャッジしているだけなのではないかと。
音痴がわかりやすい例でしょう。
Aさんからすれば私はとても音痴に聞こえるが
Bさんからすれば上手と聞こえる。
人類全員が私のことを
音痴と断定することは 難しいでしょう。
人によっては音色に聞こえるが
別の人によっては濁音に聞こえる
学生の頃、
運動が得意な人と
苦手な人もいたと思います。
「運動ができないから生きてる価値がない」と
思ったことはありますか?
私は当初思っていました。
だって私は男であって、
モテる存在になりたかったからであって
野球もしていました。
小学生の頃、
私はベンチでした。
でも、周りの友達はほとんど スタメンでしたし
活躍していました。
そんな自分が嫌で
投げ出したこともありました。
そして、「自分はダメな奴」だと
自分自身に優劣をつけていました。
しかし、周りの友人は
私を卑下することなく
対等に向き合ってくれました。
そう、
自分からみてもちっぽけであって
相手から見るとちっぽけでもないと思います。
友人からは「へたくそ、ベンチマン」などと
言われることはありませんでした。
自分が思っているほど、
人は落ちぶれていないということを
理解してほしいのです。
ちゃんと向き合ってくれるから 大丈夫です。
だってグレている学生ですら
ちゃんと向き合ってくれるのですから
しかし、優劣をつける行為が 世間体をつくってしまうきっかけかもしれません。
特にテストの点数がそうかもしれません。
テストの点数で 今後の人生の優劣をつけられるのは
間違いなく事実です。
あら、
これなのでは。
「テストの点数」がそうかもしれない。
点数をつけるということが どれほど無礼なことか。
私は人に点数をつけることが苦手です。
なぜなら点数というのは
人が勝手に品定めをしてつけたものです。
では、
あなたは勝手に人に
点数を付けられるとどうですか?
「君30点」
「君100点」と
勝手に自分の価値に点数を
お前の物差しで測るなよと
これが学校のテストで行っています。
そもそも車の免許の筆記試験ですら
点数をつけません。
なのに、ちょっとした点数で
優劣を決めて
天才か落ちこぼれと区別されて
落ちこぼれになってしまったと
思い込んでいる人の
人生の可能性をつぶされる。
落ちこぼれというレッテルを 貼られて行動に億劫になって
世間をきにして
「私は何をしても無理だから無難な人生にしよう」
この考えに陥るだろう。
2・成否をつけたがる

過度の「正解、間違い」
この余計な贈り物は
大人からの教育なのではないかと
私はそう思います。
数学や理科などの正解間違いは別に
咎めることはありません。
だって過去の偉人たちが積み上げたものに否定はできませんので。
では、この問題は
・道徳
・発言
・視点
この3つではないかと
私はそう思います
道徳に関しては
何がダメかよいかではなく、
自分にとって
何が「正解」か「不正解」かを
自分自身に問い詰めて、
自分なりに答えを導くことが
重要なのではないかと。
「人としてあるべき姿」
「自分の理想の姿」を小さいころから
数学や理科を教えるよりも
先にどのようなものなのかを
「教えるべき」かと思います。
発言に関しては
発言にも「想い」がのります。
当然こどもは大人の発言をまねします。
子どもだけでなく、
大人も同じ現象もなります。
それは「言語を学ぶ」ときです。
子どもはまず
言語を学びます。
それも独学で。
そこで重要なのが
「品があり、キレイな言葉」を発言しているのか
ここで言う品というのは
上品な言葉ではなく、
「愚痴、嫌み」などといった
マイナスな言葉を言わないこと
キレイな言葉は
想像通りの言葉であります。
怒鳴らない
冷静で落ち着いた言葉やトーンのことです。
発言一つで子どもは性格が そこで決まります。

視点に関しては
横から見るとか縦からみるとかの物理的な見方ではなく、
客観的にみることであり、
様々な経験をして
様々な見方をするということです。
この視点がないから
「成否」をつけるのではないかと。
なぜなら、内陸にしかいない人に
海はあるといわれても
「否定」するしかないでしょ。
だって海を見たことないし
聞いたことがないから。
でも海側に住んでいる人は
「海」を知っています。
これが
「視点」です。
内陸側にしか住んでいない人には
否定するより
理解しようとする姿勢をもつことが大切かと
でも、相手に求めるのも
「成否」をつけたがる証になりますので
自分自身が正解ではないと 思うことが重要です。
自分が正解だと思い込んでも
実際は不正解だということもざらにあります。
そういうときは
「傾聴」することが大切かと。
傾聴や経験がないから
人は成否をつけたがるのだろうかと。
だから成否をおしつけて 世間の声だからと自分を押し殺して 相手に合わせてしまうのではないかと。
3・学生時代からの教育

私は学生時代からの教育が
今の世間体を作る根源の1つかと そう思っています。
その理由は
・純粋な子どもの軸
・何が正解で間違いがわからない年頃からの成否を出される
・集団行動
純粋な子どもの軸というのは
彼らは本当に何がキレイで汚いか
臭いか良い匂いか 好きか嫌いかが区別できないぐらい
ピュアで真っ白なこの頃。
その白を色付けるのが
大人であると私はそう思います。
その大人は
・親
・先生
この2つの役をもつ大人です。
この頃の子どもは
自分で自分を表現ができない。
できないから自分の色を描くこともできない
書き方も何もかもわからない。
だから身の回りにいる大人が
その子どものために
色を付けるのです。
「だって教えても理解はできないから」
と大人は思う。
どうせできやしないから自分でやる
夏休みの宿題の工作で
よく父に作ってもらいました。
いや、もともと、自分で作ろうと思って
作ろうと自分で始めると
気が付いたら父が作っていたのです。
この傾向はありませんか?
もともと自分のための宿題が 親が行う。
おそらく
私の考えでは
2つの考えがあるのではないかと
・子どもがこんなものを作れるわけがないから 少しでも子どもの笑顔のために作ろう
・工作に夢中になってしまった
そうでないかと。
つまりすべて自分視点になってしまっていることです。
「物が完成すれば喜んでくれるだろう」と
特にこの想いが強いでしょう。
実際はそこまで嬉しくないのは事実でしょう。
特に男子は。
なぜなら「自分で作り上げた」という実績が欲しいからです。
工作を例にあげてみましたが
工作を通じてわかったことは「決めつける」ことが原因です。 そして私が一番懸念する
このワードですべてが
変わると思っても過言ではない。
「常識」この言葉
いや、この言葉の曖昧かつ断定表現です。
ではなぜ、教育部分の懸念点なのか?
純粋な子どもは常に疑問を抱いております。
ただ意味を理解できることはありませんが
脳内ではなく体感的に疑問を抱いています。

でも、答えがわからない。
その深い答えを知りたい。
自分の思考では知れない。
誰に頼るのか
そうです。
身の回りにいる大人たちに答えを求めます。
「なぜ○○がダメなの?」この質問に
「常識的にダメでしょ」と
常識という意味は
子どものころは理解できません。
なんなら今の大人ですら深く理解できていないと思います。
私ですら深くわかっていない部分があるかもしれません。
なんなら殺人は常識的にダメなのは
理解できると思います。
はい、ここで質問です。
戦争だとどうなのか?
常識的にダメというこのワードは通じますか?
なんなら徳川家光政権前までの時代なら
なおのこと殺人は褒められる時代でした。
ここで聞きます。
常識とは何なのか。
殺人を例にしましたが
殺人を本当にしてはいけない理由を
ここまで深くしないといけないのに
常識というのは
この歴史を省略して
常識と言うのです。
もし常識という言葉を使いたいのであれば
なぜそのような理由になったのかを
深く説明しないと意味がなく
初めて「常識的」になったと伝えればいいのです。
なぜ、○○がダメなのか~~~
だから○○がダメであって
そのおかげでダメという認識がみんなに浸透したから
常識的にはしなくなったよね。
中には○○をしてしまう人もいるがね。
ダメなことをわかっていてもしたくなる人もいることも
理解してほしい~~~~
このように深く話し合うことが重要です。
そして、「断定」しないことがカギです。
だが、ここまで深く子どもと向き合っている
大人は少ないだろうと。
特に先生はそうだと思います。
それは
「業務」として向き合っているからです。
全員には言いません。
中には真摯に向き合って取り組んでいる人もいます。
でも「業務」なので
慣れがあれば「受け流す」
なぜ慣れがあるのか?
それは授業を作るための準備やテストや
諸々の細かい作業が多い
あとは保護者の機嫌を伺わないといけない
などと余裕がなくなって
慣れができると
省くことに全力を注ぐのです。
これは先生が悪いともいえるが
一番はシステムが悪いです。
だってストレスが溜まって倒れたり 犯罪にはしったりするのですよ。
システムが悪すぎるから
そりゃブラック企業と言われますよ。
システムが悪い理由は市や県や国が
ちゃんと保障できていない部分が
あるのではないかと。
それを変えるには
市議会議員になったりと
選挙に行ったりと
議員さんに直談判したりと
無償で学校を支える活動をしたりと
アクションを起こすことが大切かと
しかし、面白いことに
学生時代は親より
先生といる時間が長いのです。
計算しますが

【小学生】
親 朝7:00~8:00
昼0時間
夕方0時間
夜18:00~21:00
先生
8:00~15:00
これを平日合算すると
親 5時間×5=25時間
先生 7時間×5=35時間
休日は親は8:00~21:00だと
13時間×2=26時間
でも、小学生のころから習い事を休日のみでも行うと
だいたいスポーツだと約9時間ぐらい行います。
土日だと18時間
習い事をすると親とかかわるのは
5時間×2=10時間
つまり
親 35時間
先生 35時間
習い事 20時間
つまり、身内より
子どもが先生の思想が響きやすいのです。
【中学生以降】
中学生、高校生になれば
部活を始めると約55時間 先生と1週間過ごします。
親以上に教育しているのでないかと思います。
だからこそ学生時代の育て方は「先生」が一番重要というのが
この数字をみて明確になったのではないかと。
子育てをしている方が
もしこの記事を読んでいるのであれば
自分の考え方が断定的になっているのかを
自分が正しいと思い込んでいる部分があるのかを
認識してほしいです。
この記事を読んでいる方は
とても品があって優しくて
子どもにもちゃんと向き合っているから大丈夫かと思います。
もし、学校を入校、転校や習い事に関しては
慎重に先生や指導者を見極めていくことが重要です。
いい指導者や先生の見極め方については
また後ほどで
今は自分で考えたほうがいいかと。
そのうち記事にしてみようかと考えていますが。
4・疎外される

人というのはもともと集団で生きる生物です。
縄文時代がまさにそうでしょう。
今でも縄文時代みたいに
横のつながりを大切にしている 村や町もございます。
これは日本だけでもなく
外国人も当てはまります。
ましては外国人をみると
一番わかりやすいかと思います。
彼らは常に人とパーティーを 毎週、毎日行っています。
それぐらい
人は集団で生きているのです。

しかし、
人は孤独になるとどうやら
心がもろくなります。
その孤独に恐れてしまうから
疎外されたくないように周り合わせます。
よく、周りの目をきにするというのは
孤独の時に感じやすく
そして、視線が感じやすく
そして勘ぐってしまっているぐらい
被害妄想をしてしまいます。
だからそのような想いをしたくないから 周りに合わせないのです。
この
「孤独」にならずに
疎外感を感じないように
世間体を意識してしまうのではないかと。

5・メディア

今の時代や1,2世代前からのメディアが原因かと私はそう思います。
特に今の時代がわかりやすいのではないかと思います。
その理由は
主に
・専門家の存在と
・発言力の影響と
・SNSを扱い他人を比較してしまう
この3つなのではないかと。

専門家に関しては
分野に特化した人であります。
専門家は必ず断定したことを言います。
なぜなら
専門家は断定した発言をしなければ
ならない立場であります。
専門家の語尾が「~わかりませんが、、、」
「~かと思います」
などと自信なさげの言葉だと
聞き手は「専門家じゃないのかよ」
「どっち?」と不安や呆れが生じてしまいます。
では、断定したとしても
多くの人は専門家の言葉だけを聞いて
「専門家はこう言っていたから」と
情報を鵜呑みにして
人から人へと伝えます。
この人から人へと
鵜呑みした情報が
やがて世間体へとなるでしょう。

では、発信者の影響に関しては
インフルエンサーや芸能人の言葉を鵜呑みにして
○○が言っていたからやるべき
○○がやってないからダサい
この現象は専門家と似ていますが
少し異なっています。
それは「確信性」がないからです。
インフルエンサーは何かに特化していると思いますが
特化している分野を研究しているプロではないからです。
そこの差なのではないかと思います。
ここが一番の
根端かもいれません。
SNSです

このSNSがそうであって
誰でも投稿できます。
そこで
「煽り投稿」や「こうあるべき」といった
断定した投稿があります。
これが世間体を作り上げる象徴かもしれません。
「○○しているとだめだ」
「○○すべき」といった
焦らせたりするのです。
このような投稿を意図的にしている人の 真意を理解しようとしていないから
世間体に流されるだろうかと思います。
ちなみにだいたいの煽り関連の投稿をしている人は
認知度を高めるように
マイナスな感情を沸かせて
行動させる
ちょっとした小手先で反吐がでるテクニックです。
6・まとめ

5つのことをまとめさせていただきました。
最近世間体といえば
一番ピンとくるのは
「コロナワクチン」なのではないかと
私はそう思います。
その理由は
「ワクチンを打たない人は人間じゃない」
みたいなことを発言する人もいます。
すべて
マイナスな感情から生まれて
なおかつ権威がある人が断定した発言をして
コロナワクチンを打たない人は
人権がないみたいな差別扱いをされました。
これが俗にいう「世間体」です。
ワクチンというのは
コロナウイルスの症状にならないために
ワクチンを打つ。
そうではないかと。
でも、
ワクチンをうってもコロナになる人もいますし、
そもそも
コロナワクチンはたった1年で完成いたしました。
しかし、インフルエンザのワクチンは
約7年で完成し、約数年にわたっての実験も行っておりました。
この意味は分かりますか?
インフルですらかなりの年月がかかりました。
なのにコロナワクチンはたった1年で完成いたしました。
そのようなものを摂取したくないという人も
少なからずいたと思います。
相手の気持ちをくみ取ろうとしないのが
私が思う世間体です。
気遣いや配慮といったことは
素晴らしいですが、
過度にいきすぎて
気遣いが強要へと
配慮が排除へと変換されます。
私の脳内がそのようになっています。
では、ここで問います。
あなたにとって世間体とは?
また、世間体の本質を
自分なりに汲み取って
私と共に話し合いたいです。





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